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宴
草いきれが身体を包む。
風が重い。
息をする度に、肺腑がねっとりとした緑の臭いに侵され、息苦しい。
体を重く感じるのも、もはや錯覚などでは無いだろう。
水気をふんだんに含んだ暑い山の空気が馬超の皮膚に玉を結んでいた。
「暑い」
思わず声が出た。
暑い暑いと思っていても、実際己の気怠い言葉が茹った耳に入って来ると、その不快さが倍増した。
「くそっ」
額に浮いた汗を捲りあげた腕でぞんざいに拭う。
じゅくりと濡れ、頬に張り付いた兜飾りを、忌々しげに背後へ払う。
端正な彼の面差しは歪んでいた。
気に入りのきらびやかな装飾を邪魔に感じてしまうことが腹立たしかったし、実際今それは無用の長物どころか更に暑さを際立たせるのに一役買っているのも憎らしかった。
「蜀の地は盆地になっていますからね」
そう答えた趙雲の涼やかな面差しに汗は無い。
それを横目で見る度に、馬超に理不尽な怒りがこみあげる。
涼しげな顔の奥で、いいざまだと嘲笑っているに違いない。
俺が劉備殿に降ったことに、配下のほとんどの者が眉を顰めていたと聞く。
どうせこいつも…その口だ。
裏切りと疑心との虜になって長いこと道を失い、孤独に彷徨い続けて来た彼の来歴は、彼の心に深い傷を刻み、未だ癒える気配すら見せてはいなかった。
「何…そのうち慣れますよ。私とて始めのうちはこの暑さには辟易したものです」
仄かに微笑みを浮かべた趙雲の横顔を、探る様に馬超は見た。
「…だといいがな」
優しげな趙雲の言葉すら、彼の耳には歪んで入る。
夏の茹る暑さが大気を捩じ曲げ、虚空に虚像を結ぶように。
俺はずっと…西涼の大地に根付いていたのだ。
根無し草に等しかったお前達と一緒にするな。
荒野の誇り高き王だった男はそう心の中で悪態を着いた。
そして、些細なことに一々腹を立てている己に対する自己嫌悪で更に苦しげに顔を顰めた。
汗ばんだ手で、兜を掴み持ち上げる。
樹々に遮られていた陽光は、直射するそれに比ぶれば、遥かに穏やかだと言えるのだがそれでも…金属製の兜は馬超の手に熱かった。
蒸れるはずだ…
うんざりするのにさえ疲れた馬超はただ一つ嘆息した。
美丈夫が緑に透された光と風とに肌を晒して佇む様は、さながら一枚の絵の様に夏に映えていた。
なまぬるくとも、木立ちからは青々と繁り重なり合った葉を抜けた微風が吹く。
淡い風は馬超の首筋をふわりと撫でた。
しかし彼はその爽やかさを解しはしない。
…何処もかしこも…
…湿っている…
せっかく風がさらりと熱を溜めた肌を優しくなぞったのに馬超の柳眉は顰められたまま弛まない。
不機嫌そうな馬上の男に、趙雲は苦笑しながら尚も声をかけた。
「馬超殿」
「何だ…趙雲…殿」
馬超は未だに敬称を付けて名を呼ぶことすら馴染めない。
「この暑さも夕暮れ時分は少しは過ごし易くもなりましょう…そのようなお顔で宮中へ参上なさいますな?」
「…今宵の宴の話か」
「はい」
俺の本心に気づいて気づかぬ振りをしているのか、それとも単なるお人よしの馬鹿なのか。
趙雲の整った顔から毀れる邪気無き清廉な微笑から、言葉以上のものを汲み取れず、馬超は押し黙った。
平西将軍。
劉備殿が俺に下さった新たな名称がそれだ。
それまでの俺の名称はなんだったか。
錦馬超と持て囃されたのは遙か遠く。
魂と命とで繋がりあっていると信じてきた盟友達も我が元を離れた。
何時しか世間は…俺を鬼だと…そう呼んだ。
俺が貫きたかった正義は…諸刃の刃となって、守りたかったものを切り裂いた。
見えない壁を己に向けて張り巡らし、口を噤んでその中へと閉じこもった馬超の冷たい横顔をちらりと見、やれやれと言う風に趙雲は肩をすくめた。
妖艶な態度でしなだれかかる美女の酌をさらりと受け、静かに唇へと運ぶ。
乙女の舞に素直に喜び、供された食事に舌鼓を打つ。
数多くの人々と無難に言葉を交わし、時には笑いあい…
趙雲の心配とは裏腹に、馬超はすんなりと宴の席に馴染んでいた。
が。
杯を手に、酔いに火照った頬を空に翳そうと外に出たとき彼は不意に我に帰った。
…慣れる事など出来はしないと常々感じていた成都の風が…馬超を我に返らせた。
身体に絡みつく、重たげでねっとりとした緑の質感に、彼は己の自我を取り戻した。
俺は…
何をしているのだ。
崖の上から不意に何者かに背を押され、奈落へ落ちゆくような、己の踏み締めている大地が信じられないような、そんな不安が彼を襲った。
何をしているのだ。
俺は一体、此処で何をしているのだ。
顔の血の気が瞬時に引く。
宴の喧騒が遙か背後にするりと遠のく。
ふらりとよろめき、瀟洒な欄干に手を付いた瞬間に、可憐な声が耳に入った。
「異国の香りが漂いますね…」
闇と水とをふんだんに含んだ温い風に頬を打たせたまま、馬超は声へと視線を向けた。
「…お前は…」
闇夜に浮かぶ乙女の姿に覚えがある。
先ほど優雅に舞を舞っていた踊り子だ。
確か名は…だったか。
「…将軍が遙か遠い涼州からの人だと拝聴したものですから…懐かしさのあまり、無礼を承知で声を掛けてしまいました…お許し下さい」
懐かしい?
馬超は月明かりに透かしてを改めてしげしげと眺めた。
その視線にたじろいだように、は目を伏せ、俯いた。
言い寄る女に不自由をしない馬超が座を喜ばせるためだけに呼ばれた遊女の名など一々覚える訳が無い。
彼がを記憶に留めたのには理由があった。
「お前も西涼のものなのか?」
「…母親は羌族の娘であったそうです…」
「…道理でな…」
ふ、と唇に笑みを乗せると、馬超は手にしていた杯を乙女に出した。
舞の一挙手一動に涼州の息吹が垣間見れたわけだ。
そうか…涼州の者だったか。
「俺の祖母も羌族でな…お前の舞は俺には懐かしいものだったよ…」
馬超の言葉と微笑みに、はほっとしたように微笑んだ。
そして差し出された杯に指を沿え、湛えられた芳香をそっと口に含む。
間近に来た乙女の唇を、こくりと上下する細い首筋を…
馬超はじっと見つめた。
涼州か…
馬超の脳裏に彼方の光景が去来する。
それは切なく懐かしい、甘美な夢だった。
夢を、乙女を見つめるだけでは飽き足らず、馬超はの細い腰に手を回し、ぐっと側に抱き寄せた。
「…!」
歴戦を潜り抜けてきた男の腕が、華奢な乙女の身体をがっちりと掴む。
は困ったように馬超を見た。
「…お前のような麗しい羌族がいままでに歩んできた道…察するに余りあるぞ…」
異端のものは何時の時代も虐げられる。
其処に人としての尊厳などは無い。
漢の美しい女が羌族達の目に歪んだ欲望と共に見つめられるのと同じように。
羌族の美しい女は漢の男には美しい餌食に過ぎない。
抱き寄せたことで毀れた酒がの肌に残した湿り気に、馬超はそっと唇をつけ、強く吸った。
「あ…」
濡れた袂から立ち上る甘い女の香りと、つんとした酒の香りが馬超の鼻を擽った。
の指が馬超の頬にそっと触れる。
手にしていた杯が高い音を響かせて、石でできた重厚な廊下に木霊する。
生ぬるい風が吹く。
成都の風。
それは二人の知る今は遠い涼州の乾いた風とは似てもに付かぬ重い風。
「…お前の心の荒野を見たい…」
高ぶった心に呼応するかのように、掠れた声が出る。
乙女の舞に、乾いた大地を見た。
突き抜けるような高い空を見た。
砂交じりの強い風を思った。
「…もう覚えてなどおりません…」
切なげなの声。
「だが体は覚えていた…お前の舞に俺は故郷を見た…」
「…忘れてしまいました…」
乙女の声が震えた。
その頬を熱い雫が伝った。
馬超はそっと身体を離した。
「すまなかった」
「…」
場を離れようとした馬超の背に、の手が触れる。
「…待って…」
言葉通り、馬超は立ち止まる。
「一つ聞いてもいいか……」
振り返りざまに名を呼ぶと、ひくりと、乙女は震えた。
「…何なりと…」
「…此処の風は…俺には重すぎる…だがお前にも重すぎたのか?」
「…何時しか…馴染んでしまうのです………人は皆………」
「馴染む…か…」
の手を取り、馬超はそこへそっと手を重ねた。
「俺も…忘れていくのだろうか……何時かこの風に身も心も馴染みきって…」
無数の死を。
あの情熱を。
激しい怒りを。
乾いた風と苛烈な大地が育んだ己の気性を、緑の風が包み込み、全てを過去の情景へと染め替える。
焔と血潮と憎しみとで研ぎ澄まされた俺の牙が…
腐って溶ける。
俺の心の業火が…
優しい風に殺される…
あぁ…俺は…
俺は何をしているのだ。
「忘れられると思っていました…私も。涼州の風、大地、空…そして人……でも……忘れたつもりでも……あなたの仰るとおり、体のどこかでは消えない記憶が息づいているものなのですね」
馬超の手をそっとは解いた。
怪訝に思い、の顔を見つめると、辛そうに彼女は馬超から目を逸らした。
「お前の大地は生きているのか……俺の荒野は…もう死んだのに……」
傷口を舐め合うような激しい口付けを、馬超はの可憐な唇の上に重ねた。
何故俺は生き延びたのか…
無数の死と怒りとを背中に背負い。
奪わずとも済んだ命を無数に奪い。
累々たる屍を踏みしだいて、手を伸ばした先に仇の首筋があると信じて…
俺は唯、殺すためだけに生きていた…もう己の正義以外の何者をも信じることが出来なくなってから…
だがそれは俺の見た不毛な夢に過ぎなかった。
屍を、憎しみを幾ら積んでも…届かぬものは届かない…
…何故俺はあの時死ななかったのだ…
涼州の風と消えれば伝説となったものを…
俺はおめおめと生き延びて。
俺そのものだった牙すら地に捨てて。
これからどう生きればいいのだ…
牙をむかれた憐れな獣は…権威を血に塗れさせた亡国の王は…
どうして明日を生きたらいい?
「…っは…」
唇を離すと、魅惑的な唇が赤くぬらりと濡れていた。
潤んだ瞳が俺を映した。
もっと…
もっと深く触れ合いたいと…そう馬超は思った。
思いもかけないところで巡りあった、同じ涼州の風を知るという名の乙女と。
舐めあう傷は癒えはしないだろう…
だけれども歪であっても…
この乙女の風がこの心に少しでも心地いいなら…
俺はこの乙女の下で…少しでも人らしく振舞うことを赦されるだろうか…?
「お前は…綺麗な女だな…」
月の光に乙女の瞳が綺羅と輝いた。
「…そうですか…」
「…お前が欲しい…」
馬超はの頬にす、と手を伸ばした。
は真っ直ぐに馬超を見た。
「…懐かしい貴方の前に立って…私は知りたかったのです…私の業火が既に過去のものになったか否か……でも……今もまだ、私の憎しみは燃え続けていたようです…あなたの心に吹きすさぶ涼州の風が…私の埋火を滾らせた…」
袂からはぎらりと光る短刀を抜いた。
「私はあなたが忘れた過去よりの刺客です…」
「ぬるい冬だな…」
そう言われ、趙雲は手を風に晒してみる。
指先はぴりぴりと寒さにかじかんだ。
「馬超殿の故郷に比べれば、そうなのでしょうね、ですが私もこう見えて…常山郡真定県の出自です。あそこの冬もなかなか厳しい……ですが、此処がぬるいとは私には言えないな」
白い息を指に吐きかけながら趙雲は馬超を見た。
「ぬるい…ぬるいさ……魂が凍るくらい寒く無いと…冬が来た心地にならん」
「そうですか」
ちらり、と目の前を白い欠片が横切って、趙雲は空を見上げた。
雪が。
静かに空に舞っていた。
「……なあ……」
先を行く馬超が振り向いた。
「はい?」
見つめたその肩に、背に、淡い雪がほわりと落ちる。
「帰りたいと…思ったことが貴公にはあるか?」
「…帰りたい…ですか…?」
馬超の言葉に、趙雲はどんよりと重たい空を見上げた。
故郷を懐かしむように軽く目を細めて。
そしてゆるゆると首を振る。
「…きっと私の故郷とは漢の心なのです。大地に書かれた境界線などその前には無為…」
「…劉備殿の志が己の故郷だとほざくか…すかした男だな、お前も…」
「如何様にも」
大人の余裕でさらりと答えた趙雲に、馬超は鼻を鳴らして背を向けた。
「…俺はな…未だに帰りたいと願う…」
「…涼州にですか…」
「…さあな…」
馬超はそっと、鎧越しに己の胸に手を当てた。
それきり黙った馬超の背中を、唯趙雲は見つめる。
微笑みの形を保ったまま、小さく白い息をつく。
真夏の宴の夜が趙雲に残した黒い跡。
馬超がそっと手を当てたその下に、何が眠っているのか彼は知っていた。
血に濡れた短刀を手に、は己の胸に飛び込んだ。
「仇…が…討てなかったのです…」
涙をぽろぽろ零しながら、愛しい恋人はそう打ち明けた。
訳ありの乙女だということははなから承知だった。
その上で愛してきた。
時折魅せる憂いを帯びた横顔が魅力的だったし、夜に時々悲鳴を上げて飛び起きる発作でさえも全部ひっくるめて…の全てを愛してきた。
ある人の敵を討つために…生きてきた女です…あなたに吊り合いませんと…その言葉すら唇で封じて…
それで居てあなたの仇とは一体誰なのですと…問いただしては来なかった。
敢えて…聞かなかった。
辛い過去が形作った、今のあなたの姿が恋しいのですと…
そう囁いて…慈しんできた。
それが優しさだと信じていたから…
復讐を捨てます。
初めて身体を重ねた夜、腕の中ではそう囁いた。
唯の女で居たいのです。
あなたの側では…
健気な肩を抱き寄せて…口付けて…微笑みあった夜は今も記憶に新しい。
それでも、親の形見だと言うその短剣を、が手放すことは無かった。
その短剣が…誰かの血に塗れていた。
「…誰の…」
と其処まで口を開きかけ、傍と気づく。
宴の最中、もう一人、行方を眩ませた男が一人いた。
馬孟起。
「…子龍さま…私は…涼州の豪族の娘だったのです……唯の戦の流民ではありません…」
しゃくりあげながらが続ける。
「…私の…両親は……先の涼州争奪戦で…」
震え続ける小さな肩を、私は抱いた。
もうその先は分かっていた。
血で血を洗うような涼州での戦いの噂は…周知の事だった。
だからこそ…血に飢えた獣との噂の高いあの男が…殿の軍門に降ることに難色を示したものが多かったのだ。
「…彼は今…どうしているのです…」
敵を討てなかったと泣くだが、彼女の手にした短剣の血糊から察するに、刺された馬超が無事とは言えまい。
震えるに上着を着せ、暖かな飲み物を侍女に命じ、寝台に横たえ、すぐさま宴の席へと急いだ。
馬超は其処へ居た。
少し色褪せた唇と顔のまま、剛毅にも酒を飲んでいた。
…顔色が宜しくありませんが…
少し風に当たりすぎた…成都の風にいまだ馴染めん……昼間は鍋の底の様に暑かったしな
夏なのに重ねられた上着と、微かに鼻につく血の匂いに、確信した。
の仇はこの男だと。
眩暈がした。
それを知っても…己がの変わりにこの男の息の根を止めることなど出来ない。
彼は…志を共にする仲間だった。
…涼州のな…
…はい…
のことを馬超に言うべきか、それとも知らぬを決め込んで、唯この男が宴の最中に倒れぬようにだけ気を配るが得策か、そればかりを趙雲は考えていた。
時折彼は鳩尾の辺りを庇うように手で触れながら酒を傾けていたので、丁度其処を刺されたのだろうと察しが着いた。
風の片身を宴に見てな…
馬超の茫とした眼差しが虚空を見る。
趙雲は馬超の手の辺りが気になってならない。
懐かしい風に俺は惹かれた…彼女の抱いた風に触れて…その心の大地に住まいたいと、そう望んだ…
つう、と馬超の瞳から雫が毀れた。
気位の高い男の涙に、一瞬趙雲は彼の傷を慮ることを忘れて言葉を失った。
だが…適わなかった……人は己の業から逃れられん…振り切っても、捨て去ったつもりでも付いてくる……俺の焔は此処の息吹で消えはしよう…だが燃えかすが残した煤までは消えないのだ……鮮やかな炎のまま、燃え続けていれば……醜い焼け跡などに気づかず済んだかもしれないのにな…
ふ、と笑って、馬超は杯を空けた。
…意外とすんなりと、俺は此処の大地に馴染むのかもな…
何も言えず、唯趙雲は空になった馬超の杯を酒で埋めた。
「…雪か…最近は俺もこの白さの良さが分かってきてな…」
先を行く馬超殿の肩に薄く雪が積もっている。
「成都の雪は嫌いでない」
「…それは…宜しいことです…」
白い息を吐きながら、そう趙雲も答える。
部屋に戻ると、もうそこにの姿は無かった。
予期していたこととはいえ、心に空いた虚を埋めるのには随分と時間がかかった。
しかし不思議と、その原因となった目の前の男に憎しみは抱かなかった。
ただ哀しみだけが心に満ちていた。
の心の憎しみを本当の意味で癒せなかった己にも…
時を経ても消え去らなかった恨みを抱き続けねば生きてはいけなかったにも…
異国で始めて心安らぐ人に巡りあってその人に、冷たい刃を突きつけられねばならない業を負っていた馬超殿にも…
皆に等しく…
哀しみだけを思った。
「…白さが…全てを覆って…消えれば…よいのでしょうに」
今何処かの空の下に居る、もこの雪を見ているのだろうか…
そうだとしたら、この白さが、彼女の心を白く染めればいい…
「ふん、束の間の白さだと知っているから…人は戦を止めないのだろう…戦うことをやめれば、己の正義に疑心を抱けば…生きられない憐れな連中ばかりなのだ…」
そうだとしたら…あまりには哀しすぎる…
「得手勝手だ」
「だから人は人なのだ、趙雲殿」
「……私はあなたのように諦観出来ない……」
「諦観じゃない…諦めだ…」
全て忘れて…あの方と普通に話が出来たなら…私はあなたに愛されてもいい資格があるのだとそう思いました。
でも…あの人を目の前にした時、私の心は憎悪で埋め尽くされてしまったのです…
貴方の愛を受ける資格が、私にはありません…
の字で…そう書置きがなされていた。
今でも思う。
私はあの時…宴席に戻るべきではなかったと…
の側にいて…共に罪をかち合って居ればよかったと…
将官殺しの罪からを救おうとして、私はの心を殺した。
と共に罪を抱えることから逃げて…の愛と傷から目を逸らして…
馬超殿の前へと逃げたのだ。
私も…憐れで得手勝手な…救いようの無い人間なのだろう…
彼と同じように…
「人とは…哀しいものですね…」
私の言葉にももう馬超は振り返らなかった。
さくさくと雪を踏み締め、白い新たな跡を刻む、白い馬と煌びやかな馬超殿の背中が、私の目に小さく見えた。
‐終‐
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